『チベット密教 心の修行』 と 『沙石集』 等 より

・・・ さらには、「与える(トン)・受け取る(レン)」の修行が現実のものとなったと考えることもできます。深い慈悲心から「与える(トン)・受け取る(レン)」の瞑想を行なうことで、他者(一切衆生)の苦しみを受け取ることができるようになったために…

『福音書』と『内村鑑三所感集』より

(「マタイ福音書」第18章 21・22・35節より)21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦(ゆる)してやらねばなりませんか。七度(しちど)まででしょうか。」 22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに…

三木清 『人生論ノート』 と 『内村鑑三信仰著作全集12』 より

(三木清「習慣について」より) 一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといわれる。しかし実をいうと、習慣こそ情念を支配し得るものである。一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといわれるような、その情念の力はどこに…

『旧約聖書 ヨブ記』 と 『現代語訳 わが信念』 より

(『ヨブ記』より) ・・・ 二 わたしにわかりました、 あなたは何事でもおできになる方、 どんな策をも実行できる方であることが。 三 〔無知をもって計画(はかりごと)を暗くするこの者は誰か。〕 それなのにわたしはわかりもしないこと、 知りもしない不…

『清沢満之集』 と 『内村鑑三所感集』 より

(『清沢満之集』より) 無限大悲の如来は、如何(いか)にして私に此(この)平安を得せしめたまうか。外(ほか)ではない、一切の責任を引受けてくださるることによりて私を救済したまうことである。如何(いか)なる罪悪も、如来の前には毫(ごう)も障(…

『内村鑑三所感集』 より

明治三十四年(1901) 善きこと三つ p.44 ○健康のみが善きことではない、病気もまた善きことである、同情と推察とはより多く病気のときに起こるものであって、多年の怨恨(えんこん)も一朝(いっちょう)の病気のために解けることがある。 ・・・ 明治三十…

トルストイ 「要約福音書」 より

緒言 p.256下段(トルストイの言葉) ・・・ 予は光を知らなかったのである、そして、人生には真理の光はないものと考えていたのである。しかるに、人はただこの光のみによって生きるものであることを確信するにおよんで、予は、その源泉を求めはじめて、つ…

『シレジウス瞑想詩集(上)』 より

第1章 85 どのようにして神の言葉を聴くか。 永遠の言葉が語っていることをあなたの中で聴こうと思うならば、まずあなたは完全に聴くことをやめなければならない。 93 自己の内面に言葉を聴く。 自己の内面にいる人は、自分の意志と関係なく、時間や空間と…

『住宅顕信 句集 未完成』 より

流れにさからうまい歩けるだけを歩く 『住宅顕信 句集 未完成』 春陽堂 「試作帳」 p.049 より引用させていただきました。 どんなに苦しいときでも自分や環境を受けいれ、さまざまなことがうまくいかないながらも、その「うまくいかない」という状況そのまま…

亀井鑛 『父と娘の清沢満之』 より

・・・(母親の設計図通りにいかない娘の結婚について、山内利子さんは)わが心をふり返りながら、 「子は親の私のものだと思いこんで、万事自分の計画通りいかないと気の済まない私の心。その、自分にこだわる心が先に立って、わが子のしあわせをさえも、心…

中村 元 訳 『仏弟子の告白』 より

666 正しい方法による損失もあり、不正な方法による利得もある。不正な方法による利得よりも、正しい方法による損失のほうがすぐれている。 667 叡智の少ない人々が名声を得ることもあり、聡明な人々が不名誉を受けることもある。聡明な人々の受ける不名誉の…

H.S.クシュナー 『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』 より

(p.236) ・・・愛は完全無欠を賛美することではなく、欠点のある人を欠点にもかかわらず受け入れることなのです。不完全な人間を愛し受け入れることによって、私たちはより善い人間、より強い人間になっていくのです。 (p.238) ・・・ あなたのまわりの人び…

外山滋比古 『思考の整理学』 より

・・・長い間、心の中であたためられていたものには不思議な力がある。寝させていたテーマは、目をさますと、たいへんな活動をする。なにごともむやみと急いではいけない。人間には意志の力だけではどうにもならないことがある。それは時間が自然のうちに、…

『河合隼雄著作集13 生きることと死ぬこと』 より

(p.279) ・・・ここで大事なことは、マイナスの事柄を創造の病いとするには、マイナスと思っていることのなかに“意味”を発見し、また自分自身を掘り下げる必要があるということです。私、私と知ったようなことをいっているが、本当はわからないところがい…

進藤貴子 『高齢者の心理』 より

・・・ 老年期に至る人生のすべてに満足している人は少ないと思われます。どの人もおそらく、心残りや、きわめて苦い後悔の念を、一つや二つはもっているのではないでしょうか。しかし、「やり直すとするならば」という考えや、「あと15年ほどあるならば」…

沖 守弘 「マザー・テレサ あふれる愛」 より

・・・ 人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ。マザー・テレサはそう確信している。 だからマザーは、世…

中村久子 『こころの手足』 より

(p.133〜134) はからおうとしても 何ひとつ自分の力で はからうことをようしない私 はからえないままに 生かされている私 怒りのままに 腹立ちのままに かなしみのままに 与えられないままに 足らないままに 生かされているこのひととき 手足のないままに生…

ダライ・ラマ14世 『幸福論』 より 

p.277〜278 ・・・ これまで見てきたとおり、思いやりはわたしたちの人生を有意義にしてくれる大切なもののひとつなのです。消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます。思いやりがあればこそ良心も生まれます。良心があれば、他の人を助…

青木新門 『納棺夫日記』 より  

p.56 (何ヶ月も誰からも気づかれなかった一人暮らしの老人の死体を納棺した後、) 何も蛆(うじ)の掃除までしなくてもよいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。 蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えて…

中村 元 訳 『ブッダの真理のことば・感興のことば』 より

「真理のことば(法句経:ダンマパダ)第1章 ひと組みずつ」 5 実にこの世においては、怨(うら)みに報(むく)いるに怨みを以(も)ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。 「感興のことば(…

清沢満之 「仏による勇気」 より

・・・ (談話や演説をした後に、実につまらないことを言ったと苦慮し、大いに元気を失うことがあるが)・・・つまらぬことだの、恥さらしだのというようなことを思い煩う時の心底には、我の価値だの、我の名誉だのというような我慢(≒高慢)がはびこりてい…

神谷美恵子 『こころの旅』 より

・・・ 一般的に言えば、人間の条件として、苦、老、死に対して何らかの不安をおぼえるのは当然のことであり、正常であるというべきであろう。この「実存的不安」は、ひとそれぞれがこころの孤独の中で生きぬくべきものであり、人間はこれを経験しながらもな…

神谷美恵子 『生きがいについて』 より

・・・ひとたびこの世からはじき出され、虚無と絶望のなかで自己と対面したことのあるひとは、ふたたび生きがいをみいだしえたとき、それがどこであろうとも、自己の存在がゆるされ、うけ入れられていることに対する感謝の思いがあふれているにちがいない。…

V・E・フランクル 『夜と霧(新版)』 より

(強制収容所で亡くなったある女性について) ・・・ この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。 「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」 彼女はこのとおり…

諸富祥彦 『トランスパーソナル心理学入門』 より

・・・“ほんとうの生き方”をひたすら問い求め、求めぬく時、その求めの徹底において、通常私たちが“自分”と呼んでいる自分の働き、つまり“どうやって楽しもう”“どうやって幸せになろう”と自分とその人生とを思い計っていた自分(エゴ)の働きは次第に弱まり…

吉田久一 『清沢満之』 より

・・・(明治)三十一年八月十五日稿を起した『臘扇記(ろうせんき)』には、獲信に関する告白が多くのっている。彼の獲信を端的に現わす言葉は「自己とは他なし。絶対無限の妙用(みょうゆう)に乗托(じょうたく)して、任運(にんうん)に法爾(ほうに)…

森下典子 『日日是好日』 より

・・・ 短いかけじくに、大きく二文字、書かれていた。 「雨聴」 (・・・・・・「雨を聴く」!) 私はかけじくから目を離せなくなった。 「ザァ―――――――――!」 雨音に包まれながら、私はその時、決定的な場面に立ち会ったように感じた。まるで符牒(ふちょう)が合…

吉野秀雄 『やわらかな心』 より

戦争中の四十三の年に、わたしは前の家内に死なれ、四人の子どもをかかえて、意気地なくも途方にくれていた。この際歌よみのわたしは、短歌を作ることによって救われたかのごとくであったが、その根本を内から支えた力は、やはり歎異抄であったといってさし…

亀井鑛 『暮らしに生きる念仏』 より

・・・「そのままでよい」という、仏さまの呼びかけが説かれます。それに答えて、私の側からは「このまましかない」という対応があるのです。「そのままのおたすけ」とは、「このまましかございません」という私の、ギリギリの現実態にさし向けられた、「も…

金谷 治 『荘子 第一冊(内篇) 』 「解説」 より

・・・いったい、人々はこの現実世界のなかに、大小・長短・彼此(ひし)、善悪、美醜、生死などといったさまざまな対立差別のすがたを認めている。そして、人々はそれを現実の真のすがただと信じている。しかし、と荘子は考える。それは、人間のかってな認…