三木清 『人生論ノート』 と 『内村鑑三信仰著作全集12』 より

hiro732014-01-22


三木清「習慣について」より)

一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといわれる。しかし実をいうと、習慣こそ情念を支配し得るものである。一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといわれるような、その情念の力はどこにあるのであるか。それは単に情念のうちにあるのでなく、むしろ情念が習慣になっているところにある。・・・習慣に形作られるのでなければ情念も力がない。一つの習慣は他の習慣を作ることによって破られる。習慣を支配し得るのは理性でなくて他の習慣である。言い換えると、一つの形を真に克服し得るものは他の形である。・・・




『人生論ノート』三木清 著 新潮文庫 「習慣について」 p.37〜38 より引用させていただきました。






内村鑑三「罪のゆるし(三)」より)

ゆるし得んがために祈るべきである。また祈りてゆるすべきである。敵をゆるすの最も善き方法は、彼のために祈るにある。・・・われ、わが敵のために祈りて、われの彼に対していだける無慈悲と憤りとは除かれ、これに代わりて春風駘蕩(たいとう)、仇恨の堅氷を解かすに足るの温雅はわが心に臨むのである。仇恨の苦きをいだきて長く不快を感ずるの必要はない。直ちに祈禱の座に近づき、わが最も憎しと思う人のために祝福(さいわい)を祈りて、完全に彼をゆるして、われもまた完全の幸福にあずかるべきである。・・・




内村鑑三信仰著作全集 12』山本泰次郎 編 教文館 「罪のゆるし(三)」 p.101 より引用させていただきました。






「祈りの習慣」によって、怒りや憎しみなどの「情念」を克服することができるのではないか・・・


例えば「神様・仏様、どうか◯◯に対して怒りや憎しみを抱くのではなく、その代わりに『◯◯に幸多かれ』と心の底から願うことができますよう、私をお助けください」と毎日繰り返し祈ってみる・・・そこから、苦しい現状が何か新しい展開につながるのかもしれません。


この「繰り返し」ということが、非常に重要です。

「繰り返し何かをしてみる(明確な行動だけでなく、じっと座って考えたり念じたりすることも含めて)」ということ、つまり「反復」こそが、人生をはじめ様々な事柄の秘密を解くことにつながる鍵となるのではないか、と思われてなりません。


程度の差こそあれ、誰もがいわゆる「なまけ者」です。仕事や勉強にせよ、何らかの作業にせよ、何かを考えることにせよ、時間と労力をかけて「反復」し続けるのは、実にしんどいものです。

しかし(実際どうなるかは置いておき)とりあえず目標と計画をたてて始めてみること、そして計画通りいかずに、たとえいったん中断してしまったとしても、完全にはあきらめてしまわないこと、じっとチャンスをうかがっておいて、ここぞという時に再び始めてみること・・・それが大切だと考えます。


「繰り返す」・「反復する」ことには、「断続」ということが含まれており、長い目で見た場合、むしろ「断続」のほうが良い結果をもたらす場合も少なくないように思われます。多大な労力を使って反復し続ければ、たいてい心身ともに折れてしまい、再開することができなくなってしまいます。おそらく、力の出し方をセーブしつつ断続させることが「習慣」を形作るコツなのでしょう。


私は、今日から「祈りの習慣」を確立できるように、繰り返し挑戦していきたいと思います。