2006-01-01から1年間の記事一覧
・・・(明治)三十一年八月十五日稿を起した『臘扇記(ろうせんき)』には、獲信に関する告白が多くのっている。彼の獲信を端的に現わす言葉は「自己とは他なし。絶対無限の妙用(みょうゆう)に乗托(じょうたく)して、任運(にんうん)に法爾(ほうに)…
・・・ 短いかけじくに、大きく二文字、書かれていた。 「雨聴」 (・・・・・・「雨を聴く」!) 私はかけじくから目を離せなくなった。 「ザァ―――――――――!」 雨音に包まれながら、私はその時、決定的な場面に立ち会ったように感じた。まるで符牒(ふちょう)が合…
戦争中の四十三の年に、わたしは前の家内に死なれ、四人の子どもをかかえて、意気地なくも途方にくれていた。この際歌よみのわたしは、短歌を作ることによって救われたかのごとくであったが、その根本を内から支えた力は、やはり歎異抄であったといってさし…
・・・「そのままでよい」という、仏さまの呼びかけが説かれます。それに答えて、私の側からは「このまましかない」という対応があるのです。「そのままのおたすけ」とは、「このまましかございません」という私の、ギリギリの現実態にさし向けられた、「も…
・・・いったい、人々はこの現実世界のなかに、大小・長短・彼此(ひし)、善悪、美醜、生死などといったさまざまな対立差別のすがたを認めている。そして、人々はそれを現実の真のすがただと信じている。しかし、と荘子は考える。それは、人間のかってな認…
・・・真理は多くの落ち葉のうちに埋もれ、覆い隠されている。そのままでは真理を見ることはできない。その落ち葉を一枚ずつ取り除いてゆく作業が、言葉による論理的思考にほかならない。つまり言葉は、真理を見やすくするための準備作業として必要なのであ…