2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

谷川俊太郎 「他人の心より分かりにくい自分」 より

・・・勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。おれっていう人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまらない。私はすっかり感心した。自分とつきあうのが大変だなんて考えたことが…

稲葉秀賢 「歎異抄 第一条の解説」 より

・・・私にかけられた願いの世界は、遠くかつ深い。親から願いをかけられているばかりか、妻からも、隣人からも、はたまた有縁のあらゆる人からも願いをかけられている。もっとも、そのなかには私を憎んでいる人があるかも知れない。けれども憎むということ…

山折哲雄 『悪と往生』 より

・・・「地獄一定」が真実なのか、それとも「往生一定」が本当の話なのか、― 唯円が親鸞の面前で眼を白黒させている光景が思い浮かぶ。しいて理屈をつければ、生きているあいだは「地獄一定」であるけれども、しかしそれだからこそ死んでのちは「往生一定」…

増谷文雄 『無量寿経講話』 より

(無量寿経の結語(流通分:るずうぶん)について) ・・・かかる仏智のいとなみを信ずることは、まことに難しいことであって、まさに、難中の難であり、この難にすぎたるものはないけれども、これは、仏の大悲によって説かれたものであり、これよりほかには…

石田瑞麿 『教行信証入門』 より

(「誠に知んぬ。悲しきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没し、名利の太山(たいせん)に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証(しんしょう)の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを、恥づべし傷(いた)むべ…

佐々木宏幹 『聖と呪力の人類学』 より

・・・神秘体験の大前提、それは宗教対象にたいしておのれを無化し、空っぽにすることであった。空っぽの仕方は文化により、宗教的伝統により異なっていよう。要はひとすじにおのが信じる対象にすべてを投入するとき、対象もこちらに及ぶ。両者の及び合う感…