2004-01-01から1年間の記事一覧

埴谷雄高「死霊・自序」より

・・・勿論、そこから宇宙の涯へまで拡がるほどの優れた発想は深い感動からのみ起ることを私は知っている。水面に落ちた一つの石が次第に拡がりゆく無数の輪を描きだす音楽的な美しさを私は知っている。にもかかわらず、私は出来得べくんば一つの巨大な単音…

柳田国男「山の人生」より

「うそ」と「まぼろし」との境は、決して世人の想像するごとくはっきりしたものでない。自分が考えてもなおあやふやな話でも、なんどとなくこれを人に語り、かつ聴く者が毎(つね)に少しもこれを疑わなかったなら、ついには実験と同じだけの強い印象になっ…

岩田慶治『カミと神』より

・・・この宇宙は無色と雑色(※)、非相と諸相、あの世とこの世によってつむがれた一枚の絨毯だといったけれども、そうだとすれば私はその隅っこに描かれた一つの模様なのである。人形(ひとがた)の模様。しかし同時に糸そのものは、私だけでなく切れ目なし…

酒木保『自閉症の子どもたち』より

・・・彼ら(自閉症の子どもたち)に関われば関わるほど、知れば知るほど、私が「いま」「ここ」にこうして生きていることが、偶然とか奇跡とか呼んでもよいような微妙な関係性の上に成り立っていること、私たちの日常性が自明のものでも揺るぎないものでも…

関 頑亭『人生、飄々と。』より

・・・でも変に悟った人間には何も言いません。殻が固まってしまって、それを落とすことはもうできないだろうと思うからです。その人はもうそこでおしまい。それ以上は前に進めない人です。昨日までの自分の殻を落とせなければ、今日を生きることはできませ…

大野 晋『日本語の年輪』より

・・・日本語のコトは、事(コト)の他に言(コト)の意味を持っているのが特徴である。事とは、たれかが何かをする、行ないそのものもさすし、行ないの結果もさすけれども、言の方は、だれかが口で言うのである。何かを実際に行なうのと、口で言うだけなの…

新渡戸稲造『武士道』より

しかしながら真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった。・・・ ・・・かくして武士道の教うるところはこれであった――忍耐と正しき良心とをもってすべての災禍困難に抗し、かつこれに耐えよ。・・・ ・・・真の名誉は天の命ずる…

和辻哲郎『古寺巡礼』より

・・・恐らくこの画家は人体の美しさのうちに永遠なるいのちの微妙な踊躍を感じていたのであろう。そうしてその感じが肉体の霊光としてここに表現せられているのであろう。・・・・・・芸術が人を一時的解脱に導くことはかつて力強く説かれたが、この画のご…

埴谷雄高「目に見えぬものを伴侶として」より

・・・見えないものが見えるようになるためには、ひたすら同じような課題を真剣に負っていなければならないのですが、さて、同じ課題を負っている幽霊物質とともに歩いていることを感じたとすれば、そのとき、そのひとは長い、長い人類の課題の上のそのひと…

サルトル「実存主義はヒューマニズムである」より

(ある生徒が、人生の岐路に立つような重大な問題に悩み、助言を求めてきたことについて)・・・こうして彼は私を訪ねてきたとき、私のしようとする返事を知っていた。そして私はただ一つしかなすべき返答をもたなかった。「君は自由だ。選びたまえ。つまり…

上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界』より

・・・宇宙に満ち満ちた大きな力を感じることができれば、人は自分が何ものでもないことに気づき、限りなく謙虚になれます。それと同時に、自分を含めすべての人にその力が満ちていると確信し、自分も他人も平等(同一)であると知り、すべての生類に共感し…

柳 宗悦「作物の後半生」より

・・・物があって見るというよりも、見る故に物があるという方が正しい。その美しさも醜さも吾々の眼が産むのである。眼はものを創造する。・・・・・・正しい見方は直観である。直ちに観るのである。これを物に即して見るといってもよい。または物が心に交…

タゴール『ギーターンジャリ』より

47・・・(前略) 耳に聞こえぬ歌ぞある その歌の 絶えず響くところ 生命(いのち)の琴を持ち 行かむ 底知らぬ集会(つどい)の中に 永遠(とこしへ)の調べを 合はせ 名残りの歌に 涙垂れ 声なき君の足許に 声なき琴を 捧げなむ 124・・・(前略) こはい…

サキャ・パンディタ『サキャ格言集』より

401 少しで足ることを知る者 その人の財産はなくならない。 足ることを知らずに求める者には 苦しみの雨がいつも降る。 424 もし敵を退治したいのなら 殺してもどうして全部をなくせようか。 自分の怒り一つを征服すれば すべての敵を一挙に殺したのと同じだ…

プラトン「ソクラテスの弁明」より

・・・思うに、死とは人間にとって福の最上なるものではないかどうか、何人も知っているものはない、しかるに人はそれが悪の最大なるものであることを確知しているかのようにこれを怖れるのである。しかもこれこそまことにかの悪評高き無知、すなわち自ら知…

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』より

(32) 宇宙の真理は不可知なのに、なあ、 そんなに心を労してなんの甲斐があるか? 身を天命にまかして心の悩みはすてよ、 ふりかかった筆のはこび(:宿命)はどうせ避けられないや。 (58) 地の表にある一塊の土だっても、 かつては輝く日の面(おも)、…

エピクテートス「語録」より

・・・(サイコロの目が)投げてなにが出るかを、わしはどこから知るだろうか。しかし、投げ出されたものを注意深く、うまく利用することは、それはもうわしの仕事である。かくて、人生のばあいでもそのとおりで、おもな仕事は、事柄を区分したり区別したり…

神谷美恵子『ハリール・ジブラーンの詩』より

苦しみについてお話し下さい、とある女が言った。 彼は答えた。 あなたの苦しみはあなたの心の中の 英知をとじこめている外皮(から)を破るもの。 果物の核(たね)が割れると中身が陽を浴びるように あなたも苦しみを知らなくてはならない。 ・・・(中略…

小林秀雄「私の人生観」より

・・・昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。 その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処(どこ)まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道が屹度(きっと)あるのだ、…